北区赤羽自然公園は以前、軍の工場があった場所でした。この区立の公園はそうした歴史を持つ土地を利用し、市民が参加して公園を作り上げていくというユニークな活動を経て生まれたものです。
1996年「水の波紋‘95」(ワタリウム美術館、9月2日~10月1日)で「被爆柿の木二世」がはじめて展示、里親募集をされたのを知り、北区がこの公園にぜひということで申し込んでくれました。公園の完成が99年であったため、最初の植樹申し込みをしてから3年後の1999年3月13日、ようやく植樹が実現したものです。この3年間、現地の植樹事務局がつくられないまま進んだため、実は植樹イベント開催に際していくつかの困難が生じたのも事実です。しかし公園の企画に関わっていたランドスケープ計画の河合嗣生さんらの尽力があり、こども達や市民との接点となる植樹イベントをつくろうという気運が高まりました。その結果、それと連動して柿の木実行委員の有志が中心となって、無事植樹式が行われたのでした。
当日行われた「柿の木物語」と題されたワークショップでは、まず樹木医の小池伸男先生の柿の木や自然に関するレクチャーを参加者全員で聞いた後、同じ日にスペインのカナリア諸島で植樹が行われることから、そこの人たちに向けて、クレヨンや絵の具を使って絵手紙を描きました。この時使用された手紙は牛乳パックなどをリサイクルし、紙を作るなどの活動をしている地元の市民グループ、アミーカスの皆さんから提供されたものです。絵手紙は実際にカナリア諸島のオサリオ市民の家に送られ、その後お礼の返事とともに、カナリア諸島でのワークショップで作られたろうそくが、友好の証として日本に届けられました。
植樹後も、地域の市民グループ・トライネットワークの田口重子さんらによって、「被爆柿の木の話を聞く集い」が企画され、また、公園の定期的な行事である自然観察会において、同じくトライネットワークの豊田さんらが積極的に柿の木についての話を伝えるなど、現地に事務局を持たないながら、柿の木は地域の人々の中に確実に根付きつつあることがわかります。