『柿の木の物語』 出版記念展覧会 関連イベント
第3回トークイベント
逸脱・対峙・拡張するアート~ワークショップの可能性を探る
元・水戸芸術館のキュレーターで、現・東京文化発信プロジェクト室のディレクターをする森さんに司会をしていただき、日比野さんと宮島が「ワークショップ」について語りあった。
まず、宮島から展示されている作品は世界22ヵ国、190ヵ所で行われたプロジェクトのワークショップを通して、子どもたちが作ったものであること。また、そのテーマは決まっているわけでなく、彼らの自由な発想から生まれていることを紹介。日比野さんからは、柿の木プロジェクトへは98年くらいから参加していることを紹介。また、当時、そうした芸術祭で「ワークショップ形式」で出品することに、当局から大変な抵抗があったことを宮島が明かした。
次に日比野さん自身の活動を紹介。ワークショップの特徴として、作家一人でコントロールできないことや他の人々が勝手に広げていくこと、などが話され、それを三人が共有した。森さんから、柿の木が宮島主体でなく、実行委員会を選んだのは先見性があったと指摘。また、彼は日比野、宮島両者の言葉がインターネット時代の言葉で語られ、ワークショップそのものが、SNS時代の産物として立ち上がってきたのではと分析。宮島、日比野さんともに「その予感があった」と述べた。
次にワークショップ的な手法は、まだ美術界では評価が定まっていないが、社会になくてはならず、美という感覚を日常に滑り込ませるも優れたアートであるとの共通認識を確認。ただ、このアートは走り続け、広がり続けているので、評価がしづらい点がある。森さんはそれを解消するには、ワークショップがどういう社会的意味があるか、生活の中にどういう効果があるかという評価基軸を導入し、そのためのリサーチ活動などがプロジェクトの中に内在化されることが望ましいと指摘。その人材育成が大切と。日比野さんは、外の人間に理解させるために、数値的な要素、例えばアートと不登校の関係とか、ワークショップ事前と事後の違いを数値化など示しては。と提案。それを行う人材は社会学系など違う分野なのではと分析する。
次に森さんが、東北復興支援を後方で応援している立場から、このワークショップ型アートの活用が急務であると指摘。日比野さんも、実際に被災地で行ったワークショップの経験から、その役割の大きさを実感したと語った。そして、宮島から、来年、福島での植樹へ向け呼びかけをしていることが紹介された。
その後、質疑応答が行われた。